東日本大震災発生時に仙台市宮城野区長で、災害対策本部長を担った木須八重子さんの講演会に参加しました。
木須さんは、自治体のトップを務める傍ら、コーチの育成にも長い間取り組まれており、私も木須さんのクラスで学びました。
毎週2日、朝7時からの電話会議システムで学ぶので、お顔を拝見したことはありません。
しかし、いつも凛とした声の一方で、一人一人の良さを認めて伸ばそうとする、温かい人柄が感じられました。
10万人の被災者に対応する職員
震災発生時、仙台市では200か所の避難所に10万人が避難したそうです。
ライフラインが寸断され、自衛隊も被災して救助に来ることができない。
避難所には人が溢れ、体育座りで寝るしかない。
食糧不足で情報がなく、何もわからない状態。
木須さんはそうした状況下で災害対策本部長として指揮をとられました。
役所の職員の方は、自らも被災者なのに、避難所で対応に追われます。
いくら頑張っても褒められることはなく、文句を言われるのみ。
木須さんは何度も繰り返します。
職員たちは最後のセーフティネット、この子達が倒れ、つぶれてしまったら終わりだ。
いかにして彼らを支えるか、それだけを考えたそうです。
危機時のコーチ型マネジメント
木須さんが職員の方たちを支えるために徹底して行ったのは、「対話」でした。
当時、木須さんも職員の方たちも泊まり込みでした。
現場に行く前の早朝と夜現場から帰ってきた時のわずかな時間、1階から6階を回って「今どう?」と話を聞いて回ったそうです。
「聞く」ということに徹した背景には、その前の職場での苦い体験があったといいます。
ごみ有料化に踏み切った環境部門のトップとして赴任した前の職場は、市民の苦情が殺到し、ピリピリとした雰囲気で怒鳴り声も飛び交っていました。
コーチングを活かして何とかしたいと、未来のビジョンは?これをやったらその先にはどんないいことが?という質問をしても、全く機能しない。
コーチングが活かせなかったのです。
今回、その経験から「声をちゃんと聞く」ことに徹した結果、職員の方たちは皆「あの時は、貴重な体験ができたと言ってくれる」そうです。
「人をいかに支えるか」に徹する
講演会をきいてまず驚いたのは、木須さんが「自分はこんなに大変だった」という話を一切されなかったことです。
発災時の避難所設置、初期対応から仮設住宅移転、集団移転までのコミュニティづくりなど、どれだけ大変だったのか想像もできませんが、ご自分の苦労話は全くありませんでした。
コーチングを学ぶことは、自己に向き合い、自己基盤を整えること。
木須さんのお話を聞いて、そのことを改めて考えました。
自分を整えることは言うまでもないこと、それよりも自分のスキルを、人のためにどう使うのかが重要。
災害時の極限状態で、その姿勢を貫かれた木須さんの口調は終始穏やかで、淡々とされていました。
同じ状況で、私は人のために動けるだろうか、改めて考えさせられた時間でした。