熊本地震で痛感したコミュニティの大切さ

2016年4月16日のこと

2019年が明けて早々に熊本で震度6弱の大きな地震がありました。
今回も気づくのが遅れ、NHKの7時のニュースで初めて知って、慌てて実家に電話。
実家は震度5弱で被害もなく、母も無事でした。
ほっとする一方で、2年9カ月前の熊本地震を思い出し、胸が少し苦しくなりました。

2016年4月14日、1回目の地震が発生しました。
実家は震度5強でしたが、ライン電話がつながった時、父を亡くしたばかりの母の声は切迫していました。
「これはまずい。」とっさに判断し、すぐに熊本行きを決めました。
その日の地震発生後、母はお隣の若い家族の家にお世話になっていました。
一人暮らしの母を心配し、若いご夫婦が母を迎えに来てくださっていたのです。
翌日、私が到着したので、母は家に戻り、夜2人で食事をして休みました。
15日の夜中(日付は16日)の1時25分、私はベッドから空中に放り出され、絶叫しながら目を覚ましました。
震度6強でした。
固まって動けない母の手をつかみ、叫びながら裸足で外に飛び出しました。

近所の人たちの有難さを痛感

近所の人たちもみな外に出ていました。
断続的に余震が続き、怖くて家には入れません。
その夜は、お隣の方がキャンプ用品を駆使して暖かい場所を作ってくださり、4家族ほどで集まって、丸くなって外で過ごしました。
翌日明るくなってみると、家の中は大丈夫でしたが、瓦が一部飛び、塀も一部崩れていました。
停電、断水になった上、大雨の予報が出ていました。
瓦が飛んでしまったので、このままでは家が水浸しになると困っていた時、お隣の旦那さん達がはしごを持ってきて言いました。
「応急処置ばしましょ。」
震度5の余震が続く中、屋根に上がってビニールシートをかけ、落ちた瓦で重しをしてくださいました。

翌日は大雨でしたが、近所の皆さんのおかげで、雨漏りせずにすみました。
娘の私が行っても結局何の力にもなれませんでした。
近所の方達の助けがなかったらどうなっていたかと思うと、とにかく有難くて、感謝するばかりでした。
地震後は余震が続き、夜眠れない日が続きました。
母は体力的にも精神的にも厳しい状態に見えたので、東京に連れて帰りたかったのですが、熊本空港は被害が大きく閉鎖されていました。
そんな中、母の状況を心配した隣の奥さんのお父様から有難い申し出がありました。
「私は道が詳しいので、福岡空港まで車で送り届けてあげましょう。」
私は、地震から1週間後、母を東京に連れて来ることができました。

地域のコミュニティの大切さ

地震の前から、母は近所の方たちと密に交流していました。
誰がどこに住んでいるのか、だれが一人暮らしか、誰の体調がすぐれないか。
お互いに何となく把握していました。
地震のあと、お隣のご夫婦が母を迎えに来てくれたのも、そのおかげです。
慣れない東京暮らしが1か月経った頃、母は言いました。
近所の人たちが気になるし、もう帰りたいと。
その後、地震によってさらに密になった近所の方たちと共に暮らす中で、母は元気を取り戻しました。
もし東京で大地震が起きたら、私は近所のお年寄りに声を掛けに行けるだろうか?
というか、どこに一人暮らしの方がいるか、ちゃんと把握していません。
災害を想定し、地域の人と顔を合わせ、普段から声を掛け合うよう訓練をしておくことが大切なのではないかと感じました。

いざというときは、遠くの身内より、近くの他人。

都会に住む私たちは、もっと近所付き合いを大切にしなければいけないと強く感じた経験でした。

この記事を書いた人

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重次泰子

熊本県出身。
慶応義塾大学、経済学部卒業。
銀行で8年勤務し、その後4年ほど2人の子育てに専念。
その後シンクタンクで11年派遣社員(嘱託研究員)、2年間研究員として勤務。
この間、コーチングに出会い、学ぶ中で、「メンバーの幸福度とチームの成果の両方を引き上げる仕組みづくりはないか」という問題意識を持ち、Gallup認定ストレングスコーチ資格を取得。

2018年10月「リソース活用ラボ」開業。
(一財)生涯学習開発財団認定プロフェッショナルコーチ
ギャラップ認定ストレングスコーチ

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